静かな分断を越えて──未来の統合報告における、“支え合う力”と信頼資産の可視化

組織に静かに広がる“見えない分断”は、制度や戦略だけでは解消できません。これからの統合報告に求められるのは、数字の背後にある「関係性の質」を可視化し、人的資本を信頼資産として育む視点です。支え合う文化を組織に根づかせることこそが、企業の持続可能性を左右する最も根源的な戦略となります。

目次

組織に沈殿する“静かな分断”

制度では補えない、声なき孤立──その感覚は、組織の信頼資産を蝕んでいる。

「気にしすぎだよ」と言われるのが怖くて、誰にも相談できなかった──ある中間管理職が語ったその一言に、今の職場の縮図が凝縮されているように感じた。部下とも上司とも“つながれない”感覚。それは、制度や戦略では補えない“静かな分断”として組織に沈殿している。

人的資本=信頼資産という視点

数値の背後にある“関係性の質”こそが、企業の持続可能性を左右する鍵となる。

信頼のネットワークを「人的資本」として捉える視点が、今まさに求められている。本稿では、統合報告における“関係性の質”の可視化とその可能性を探る。

「何かあっても、もう誰にも相談できないんですよ」ある中間管理職がこぼしたその一言に、今の組織の縮図が凝縮されているように感じた。

上からは成果・変革・適応を求められ、下からは配慮・共感・安心を求められる。横には利害の異なる他部署との摩擦や調整が立ちはだかる──そう、いま多くのミドル層は、360度からの圧力のなかで、自らの“声”を失っている。

けれどもこれは、彼らの「個人的なつらさ」ではない。静かに、だが確実に、組織全体の信頼ネットワークがむしばまれているサインである。

声が届かない。伝わっても、跳ね返ってくる。評価されないから、もう黙る。こうした“静かな分断”は、マネジャー層だけでなく、若手・ベテラン・非正規・管理職といったあらゆる階層に静かに広がる“見えない壁”を形成していく。

可視化されない“支える力”

制度と文化のはざまに沈んだ支援行動は、再現も継承もされないまま埋もれていく。

にもかかわらず、多くの組織はこの分断を「可視化しないまま」にしている。いや、そもそも“可視化すべき資産”とすら捉えられていない。

関係性の質──それは、制度でもKPIでも測れない。けれども、確実に企業の持続可能性を左右する。だからこそ、これからの統合報告において、人的資本=信頼資産のネットワークという視点が不可欠になるのではないだろうか。

エンゲージメント向上、心理的安全性の確保、ウェルビーイング経営──ここ数年で多くの企業が、“人を大切にする組織”を掲げるようになった。けれども、実際にその職場で「支え合い」が生まれているかと問われれば、首をかしげる現場も少なくない。

なぜ、「支える」という行動は、報われにくいのか。

それは、制度として“評価されない”からである。「支えたこと」は成果として記録されず、「支えを必要とすること」は弱さだと誤解される。定量化できない関係性は、制度上“存在しないこと”になってしまう。

支え合いが報われない組織構造

共感疲労、制度の盲点、文化的な敬遠──支援する人ほど孤立する構造がある。

さらに、支える側も消耗している。共感疲労、感情の処理コスト、そして「誰にも支えられていない」という感覚──支援する人ほど孤立し、燃え尽きていく構造がある。

ここにあるのは、「制度の不在」と「文化の盲点」の両方である。制度面では、支援行動を再現可能にする“評価軸”が設計されていない。文化面では、本音・弱音・頼ることが“敬遠される空気”が根強く残っている。

このような環境では、いくら理念やミッションを掲げても、「支え合う行動」は一過性で終わり、再現も継承もされない。

土壌づくり”を人的資本経営の中核に

支え合いが自然に生まれる環境づくりこそが、信頼資産の第一歩となる。

だからこそ今、求められるのは──支え合いが自然に生まれる“土壌づくり”を、人的資本経営の中核に据えることである。

制度と文化のはざまに沈んだ「支える力」。それを再起動することが、信頼資産としての“人的資本”を根づかせる第一歩になる。

「人的資本を可視化する」──この言葉が、多くの報告書や指針に並ぶようになった。エンゲージメントスコア、離職率、従業員サーベイ……確かに、それらは「見える化」の第一歩として有効である。

測るだけでは育たない関係性

数値で追いかけるだけでは、現場の空気は変わらない──必要なのは、問いかけと意思。

しかし、“測ったから育つ”わけではない。

たとえば、上司が「心理的安全性を高めたい」と思っても、数値でその成果を追いかけるだけでは、現場の空気は変わらない。そこに必要なのは、日常の問いかけや、関係性を育てようとする意志である。

「最近、何か気になっていることある?」「自分がチームにどう貢献できているか、不安なときある?」──こうしたささやかな対話の積み重ねが、信頼という無形資産の“種”になる。

人的資本を本気で捉えるなら、「数字にする前に、土壌を耕す」という視点が欠かせない。

制度設計や開示フレームの整備だけでは、不十分である。どんなに見映えのする報告書を作っても、信頼が育っていなければ、報告自体が空洞化する。

本稿の冒頭で触れた“静かな分断”──それは、関係性の貧困に起因する、組織の見えにくいリスクである。そしてそのリスクは、統合報告の未来像にとっても、看過できない。

信頼は、開示されるものではなく、育まれるものである。人的資本経営とは、言い換えれば、“関係性の経営”である。企業の持続可能性を本気で考えるなら、まず“人と人のあいだ”に向き合うことが、最も根源的な戦略になるのではないだろうか。

可視化、スコア化、フレームワーク──今、統合報告に求められているのは、「数字で語ること」だけではない。

大切なのは、その“背後にある関係性”がどう築かれているかである。

1on1、メンタリング、対話の場づくり……それらの取り組みが効果を生むのは、制度として導入されたからではなく、そこに「相手を信じ、向き合おうとする意思」があるからである。

逆に、信頼のない報告は、どんなに整っていても、読み手の心には届かない。

「何を開示するか」ではなく、「どんな前提で向き合っているか」が、これからの統合報告における最大の差別化ポイントになるであろう。

人的資本とは“関係性の濃度”である

スキルや資格ではなく、支え合う文化の浸透度こそが、企業の未来を支える土台となる。

問いかける企業が、信頼される。

この時代における“人的資本”とは、スキルや資格の集積ではなく、「支え合う文化が、どれほど組織に浸透しているかという“関係性の濃度”」そのものである。

信頼資産は、単独では存在できない。関係性の中で育まれ、やがて企業の未来を支える「見えない土台」となっていく。

これからの統合報告が、“関係性の質”に向き合うことを通じて、数字の奥にある信頼の物語を描いていくことを、私は願ってやまない。

原 みどり(Hara Midori)
ダイアリー式メンター/人材育成・組織開発コンサルタント

グローバル企業にて、マーケティングと組織変革、人材育成の接点で、戦略立案と人材開発を統括。独立後は、これまでの実務と実践知を土台に、内省と対話を支える「ダイアリー式メンタリング」や各種講習・ブログを通じて、個人と組織の可能性を引き出すメンターとして活動中。内省力と対話力を兼ね備えた人材の育成とその先にある従業員のエンゲージメントの向上と組織の目標達成を支える力となることを目指す。

【歩み】
グローバルな人材開発の経験を経て独立
戦略人材育成という軸からMBA(米国)取得後、グローバル企業にてマーケティングと人材戦略の両軸に携わり、アジア全域の人材育成・組織開発・トレーニング設計を担当。 業務改善や組織変革、コーチング、コンプライアンス教育など、部門横断的に人材開発を推進しながら、「人を軸にした経営とはどうあるべきか」を問い続け、やがて私自身のキャリアにも変化をもたらし、単なる知識やスキルの移植ではなく、もっと本質的な支援のあり方があるのではないかとの想いから独立。

 「ダイアリー式メンタリング」の背景にある問い
独立後は、企業や行政機関の人材戦略に関わる中で、“思考の整理”と“内省の力”の重要性を、あらためて実感。組織の目標と個人の成長を接続するには、現場で格闘する一人ひとりの「思いや判断」に深く向き合うことが必要不可欠との実感から、2017年に法人を対象に、組織における育成の内製化と対話文化の浸透を支援するプログラム「ダイアリー式メンタリング」を開発。以来、 私自身がメンター役を務め、ダイアリーというツールを通じて対話と気づきのプロセスを伴走することで、クライアント企業における個と組織の成長を支援。また、同プログラムから派生する形で、ダイアリーを活用できるメンターを社内で育成する「ダイアリー式メンター養成コース」も実施。

【ホームページ】

静かな書斎

https://www.haraandco.com

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